今の通訳者といえば、フリーランスや企業内通訳者など様々な働き方があります。
しかし、現代のように国際化が進んでいなかった時の通訳者は、今と大きく形態が違いました。
今回は、その顕著な違いをお伝えします。
内容は下記の通り。
- 通訳者は公務員だった?
- 通訳は世襲制だった?
- オランダ人が英語を教えていた?
結構、衝撃的な内容です。
知らなかった人は、きっと驚くはず。
通訳者は公務員だった?
前述のように現代の通訳者は、フリーランスや企業内通訳など様々な働き方があります。
しかし、江戸時代の通訳といえば公務員のみでした。
いわば、通訳といえば国のために働く人。
鎖国をしていた江戸時代、通訳者は「通詞(つうじ)」と呼ばれていました。
当時は、長崎しか外国との交流がなかったため、通詞といえば「長崎通詞」のこと。
長崎通詞は、通訳のみならず、学術書の翻訳や外交交渉までも行なっていました。
よって、この頃の通訳は、今以上に高度なスキルが求められていました。
通訳者は世襲だった?
それだけ高度なスキルが求められた江戸時代の通訳者。
どのようにして人材は集められたのでしょうか?
実は、当時の通訳は今と違って世襲制だったのです。
そう、歌舞伎の世界と同じです。
そのため、男子が後継をすることになりました。
もし、男の子がいなければ、他の通詞から養子をもらっていたそうです。
中には、どうしても外国語に向いていない、覚えられない子供もいたことでしょう。
そのような場合も、他の通詞から養子をもらっていたそうです。
因みに、通詞には格がああり、最高位の通詞は「大通詞」と呼ばれていたとのこと。
オランダ人が英語を教えていた?
過去の日本の歴史では、今ほど英語圏との交流がありませんでした。
それは通訳の歴史からも見て取れます。
例えば、中国語の通訳者は「唐通事」、ポルトガル語は「南蛮通詞」、オランダ語は「阿蘭陀通詞」と呼ばれて認知度がありました。
しかし、英語となると話せる日本人がいませんでした。
それが、ある事件がきっかけで英語の必要性が求められるように。
それは1808年に起きたフェートン号事件。
当時、国交のなかったイギリスのフェートン号が、オランダ船だと偽って長崎港へ入港してきたのです。
その際、イギリスは日本に食料や水などを要求してきました。
英語を話せる人がいない日本は大パニック。
この経験から、幕府は通詞たちに英語を学ぶよう指示。
しかし、当時の日本は鎖国状態。
限られた国としか交流がなく、英語のネイティブスピーカーはいませんでした。
通詞たちは、オランダ語の知識をもとに独学で英語を勉強しようとしたのですが、どう考えても無理があります。
そこで急遽、英語の先生になったのが、オランダ商館員であるオランダ人。
しかし、オランダ人の話す英語はオランダ語訛り。
発音やアクセントなども不確かで、英語の勉強は非常に非効率なものでした。
当然のことながら、こんな勉強法で英語力が伸びるはずがありません。
どうしたら、生きた英語を学べるのか?
その時、意外な形で英語のネイティブスピーカーが現れます。
その人物とは密入国者でした。
ここから先は長くなるので、別の記事にまとめます↓